フリーランスエンジニアの実務

独立する前に確かめること

この部の 2 / 3 章 ・ 全体で 2 / 53 章 ・ 読了目安 22

この章を読むとできるようになること
  • 会社員時代に会社が負担していたものを具体的に挙げられる
  • 「単価 = 年収」ではない理由を数字で説明できる
  • 退職前にやっておくべきことを判断できる

「今の年収が600万。フリーランスなら月70万は取れるらしいから、年840万。240万も増える

この計算は、ほぼ確実に外れます

外れる理由は3つあります。会社が黙って払っていたものが自分に来ること、 売上と手取りの間に思ったより多くのものが挟まること、 そして稼働していない月があることです。

この章では、その3つを数字で見ます。

会社が払っていたもの

給与明細に出てこない負担があります。会社が同額を払っています。

項目会社員フリーランス
健康保険労使折半(約半分を会社が負担)国民健康保険は全額自己負担
年金厚生年金を労使折半国民年金を全額自己負担(かつ将来の受給額は下がる)
雇用保険あり(失業給付・育休給付)無い(仕事が切れても給付ゼロ)
労災保険会社が全額負担原則なし(特別加入という制度はある)
有給休暇年10〜20日休んだ日は売上ゼロ
退職金・企業年金ある会社も自分で積む(小規模企業共済など)
健康診断会社負担自費(自治体の補助はある)
PC・ソフト・書籍会社支給自分で買う(経費にはなる)
通勤費支給自費(経費にはなる)
教育・カンファレンス会社負担のことも自費(経費にはなる)
「経費になる」は「タダになる」ではない

経費にできる支出は、税率の分だけ安くなるだけです。

30万円の PC を経費にしても、戻ってくるのは所得税・住民税の税率分(多くの人で3〜4割)。 残りの6〜7割は自分の財布から出ています。

「経費で落とせるから」を理由に買い物をすると、確実に手元の現金は減ります。 詳しくは経費とは何かで扱います。

売上と手取りの間にあるもの

月70万円・年間12ヶ月フル稼働、経費100万円のケースで追ってみます。 金額は 2026年時点の制度による概算で、健康保険料は自治体と年齢で大きく変わります。

売上(税抜)                          840万円
  + 受け取った消費税                    84万円
                ─────────────
  手元に入った合計                     924万円

  − 経費(PC・通信・家賃按分・書籍など)  100万円
  − 消費税の納付(2割特例の場合)         16.8万円
  − 国民年金(年額の目安)                21万円
  − 国民健康保険(所得により大きく変動)    65万円
  − 所得税(復興特別所得税を含む)         65万円
  − 住民税(翌年に来る)                  55万円
  − 個人事業税(該当する業種の場合)        22万円
                ─────────────
  残り                              約579万円

経費100万円のうち、PC や書籍のように自分のために使ったものもあります。 それでも、年商840万円は「年収840万円」ではありません

この試算の前提
  • 青色申告特別控除65万円を適用
  • 基礎控除・社会保険料控除を適用(基礎控除額は2025年の改正で引き上げられています。最新額は国税庁で確認してください)
  • 個人事業税は、業種が課税対象に当たる場合の概算(事業主控除290万円を差し引き後、税率5%)
  • 消費税はインボイス登録済み・2割特例を適用した場合。この特例には期限があります2割特例・簡易課税・本則課税

自分の数字で計算し直してください。特に国民健康保険料は自治体のサイトで試算できます。

稼働率という最大の変数

上の試算は12ヶ月フル稼働の前提です。ここが最も外れます。

案件と案件の間:      1〜2ヶ月空くことは普通にある
体調不良:            休んだ分だけ売上が消える(傷病手当金は無い)
案件の突然の終了:    「来月から予算がなくなりまして」は実際に起きる
単価交渉の失敗:      更新のたびに条件は変わる

年10ヶ月稼働なら売上は700万円になり、上の試算の手取りは一気に100万円以上減ります。 それでも固定費(国民年金・国民健康保険・家賃・ソフトの年額)は減りません。

住民税と国民健康保険料は「前年の所得」で決まる

これが独立1年目・2年目に効いてきます。

  • 独立1年目: 前年は会社員の給与所得。住民税・国保料はその所得を基準に請求が来る
  • 収入が落ちた年: 前年の高い所得を基準にした請求が来る

つまり稼げなかった年に、稼げた年の税金と保険料を払うことになります。 これで資金が尽きるフリーランスは珍しくありません。納税カレンダーと資金繰りで対策を扱います。

会社員の年収と、フリーランスの単価を比べる

ざっくりの目安として、次の換算が使われます。

フリーランスの年商 × 0.65〜0.75 ≒ 同じ生活水準の会社員年収

(経費・社会保険・税・稼働率を考慮した実感値。
  厚生年金の将来分や退職金・有給を入れると、さらに差は縮まります)

年収600万円の会社員と同じ水準を目指すなら、年商850万〜950万円、 月単価にすると70万〜80万円で、ほぼフル稼働が必要ということです。

これは「フリーランスが損」という話ではありません。 単価が上がった時の伸びは会社員より大きいからです。 ただし出発点の比較を間違えないことが重要です。

辞める前にしかできないこと

これは実務的に効きます。在職中にやってください。

□ クレジットカードを作る(事業用も含めて2枚以上)
□ 賃貸契約・住宅ローン・自動車ローンの手続き
□ 健康診断・歯科治療・持病の検査(会社負担のうちに)
□ 有給の消化計画(退職日と最終出社日を分ける)
□ 退職金・確定拠出年金(企業型)の移換先を決める
□ 源泉徴収票を受け取る(退職年の確定申告で必ず要る)
□ 離職票の要否を確認する(自己都合退職でも発行してもらう)
□ 健康保険の任意継続を使うか決める(期限は退職後20日以内)
□ 副業として案件を1本動かしてみる(会社の規定の範囲で)
独立直後の与信は下がる

フリーランスは、開業直後がもっとも審査に通りにくい時期です。

  • クレジットカード: 勤続年数と安定収入が見られる。開業直後は実績ゼロ扱い
  • 住宅ローン: 多くの金融機関が確定申告2〜3期分を求める
  • 賃貸: 保証会社の審査で収入証明を求められる

在職中の申し込みは「同じ人」でも通ります。辞めてからでは3年待ちになることがあります。

辞める前に1本、自分で受けてみる

就業規則の範囲内で、小さくても直接契約を1本経験しておくと、この本の内容が一気に具体的になります。

  • 見積もりを出す
  • 契約書を読む(第7部)
  • 請求書を出す(第8部)
  • 入金を確認して記帳する(第3部)

このサイクルを1回でも回した人は、独立後の立ち上がりが明らかに速いです。

お金以外に変わること

数字にならない部分も先に知っておいてください。

変わること内容
意思決定何を受けるか断るかを自分で決める。裁量と同時に責任が来る
孤独レビューしてくれる人も、雑談する人もいない環境になりうる
評価上司の評価ではなく、契約が続くかどうかで測られる
学習業務時間内の学習が無い。学習時間は自分で確保する(売上ゼロの時間)
技術の幅案件で使う技術に偏りやすい。意識的に広げないと数年で詰まる
事務作業見積・契約・請求・記帳・申告。月に数時間は必ず取られる

現在は年収600万円の会社員。エージェントから「月75万円の案件があります」と提示されました。年間で900万円になる計算です。この提示を評価するとき、最初に確認すべきことは何でしょうか?

この章のまとめ

  • 会社は社会保険の半分・雇用保険・労災・有給・退職金・機材を負担していた。 独立するとこれが全部自分に来る
  • 年商 ≠ 年収。経費・消費税・国民年金・国保・所得税・住民税・事業税を引くと、 年商840万円で手取りは600万円を切る水準になる
  • 最大の変数は稼働率。案件の切れ目・体調不良の月も固定費は減らない
  • 住民税と国保料は前年所得で決まる。稼げなかった年に、稼げた年の請求が来る
  • 会社員年収との換算は年商 × 0.65〜0.75 が実感に近い
  • クレジットカード・ローン・健康診断・任意継続の判断は、辞める前にしかできない。 独立直後は与信がもっとも低い
  • 可能なら在職中に1本、直接契約を経験する。契約・請求・記帳を1周すると立ち上がりが速い

参考資料

対象リンク
国税庁 タックスアンサー(所得税)https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/
日本年金機構 国民年金保険料https://www.nenkin.go.jp/service/kokunen/hokenryo/
全国健康保険協会 任意継続https://www.kyoukaikenpo.or.jp/
厚生労働省 労災保険の特別加入https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/hoken/
読み終わったら記録しておくと、目次で進み具合が分かります。