フリーランスエンジニアの実務

秘密保持と競業避止

この部の 4 / 6 章 ・ 全体で 44 / 53 章 ・ 読了目安 20

この章を読むとできるようになること
  • NDA で自分が負う義務の範囲を把握できる
  • 競業避止条項の有効性の限界を理解できる

NDA(秘密保持契約)は、ほぼすべての案件で交わします。 形式的な書類だと思われがちですが、義務が一方的だったり、 期間が無制限だったりすることがあります。

そして競業避止条項は、フリーランスにとって事実上の廃業命令になりえます。

NDA で見るポイント

項目確認すること
秘密情報の定義何が秘密情報か。「知り得たすべての情報」だと広すぎる
除外事由公知の情報・自ら開発した情報・第三者から適法に得た情報が除外されているか
義務の相互性自分だけが義務を負う一方的な内容になっていないか
期間契約終了後、何年間か(3〜5年が一般的。無期限は要交渉)
返還・破棄終了時にデータをどう扱うか。バックアップの扱い
再委託先への開示外注を使う場合、開示できるか
違約金定額の違約金条項があるか(金額が過大でないか)
「知り得たすべての情報」は広すぎる
危険な例:
「本業務に関して知り得た一切の情報を秘密情報とする」

現実的な例:
「秘密である旨を明示して開示された情報、および
 その性質上秘密であることが明らかな情報。ただし次の情報を除く……」

定義が広すぎると、業界の一般常識まで話せなくなります。 実務上は運用でカバーされますが、争いになった時の解釈幅が変わります。

除外事由は必ず確認する

次の情報は秘密情報に含まれない(一般的な除外):
  □ 開示の時点ですでに公知であった情報
  □ 開示後、自己の責めによらずに公知となった情報
  □ 開示の時点ですでに保有していた情報
  □ 第三者から秘密保持義務を負わずに適法に取得した情報
  □ 秘密情報によらず独自に開発した情報
「独自に開発した情報」の除外が無いと危険

除外されていないと、 たまたま似た機能を別案件で作っただけで秘密情報の使用を疑われます。

エンジニアは同じような処理を何度も書きます。 この除外条項は、自分の仕事の自由を守るための条項です。

生成 AI と秘密保持

知的財産・著作権・OSSでも触れましたが、実務上の頻出論点です。

□ 発注者のソースコード・仕様書を外部の AI サービスに入力してよいか
□ 学習に使われない設定(オプトアウト・企業向けプラン)なら許容されるか
□ 社内規程で禁止されている場合がある

契約書に記載が無ければ、開示に当たると解釈されるリスクがあります。 確認せずに使うのは避けてください。

情報漏えいが起きたら

□ 直ちに発注者へ報告する(隠すと事態が悪化する)
□ 被害の範囲を特定する
□ 契約上の報告義務・期限を確認する
□ 賠償の上限条項があるか確認する([業務委託契約書の読み方](/chapters/reading-contracts/))
□ 賠償責任保険の適用可否を確認する([保険・信用・借入](/chapters/insurance-and-credit/))
情報漏えいは賠償額が読めない

個人情報を含む漏えいは、調査費用・通知費用・見舞金・信用毀損まで広がります。 上限条項と保険の両方で備えてください。

そして日頃の予防が最も安い対策です。

□ 業務用と私用の端末・アカウントを分ける
□ ソースコードを個人のクラウドに置かない
□ 公衆 Wi-Fi での作業を避ける(VPN を使う)
□ 端末の暗号化と画面ロック
□ 案件終了時にデータを破棄し、その記録を残す

競業避止条項

「乙は、本契約期間中および終了後2年間、甲と競合する事業を行い、
 または甲の競合他社に対して同種の役務を提供してはならない」
フリーランスにとっては死活問題
「同種の役務」= Web システムの開発
「競合他社」  = 同じ業界の企業すべて

→ 2年間、同じ分野の仕事ができない

会社員の競業避止は「退職後の職業選択の自由」との関係で 無効と判断されることもありますが、 事業者間の契約では、より広く有効性が認められる傾向があります。

そもそも受け入れないのが最善です。

交渉のしかた

「競業避止の範囲を、本件と同一のサービス・同一の顧客に限定していただけますか。
 フリーランスとして複数のお客様と取引しているため、
 業界全体での制限は事業の継続が困難になります」
落としどころの例:
  □ 期間を短くする(終了後6ヶ月〜1年)
  □ 対象を「本件と実質的に同一のサービス」に限定する
  □ 対象を具体的な競合社名で列挙する
  □ 削除してもらう(秘密保持で十分カバーできる、と説明する)

専属義務・稼働の独占

「乙は、本契約期間中、甲の事前の書面による承諾なく、
 第三者のために業務を行ってはならない」

これは実質的に雇用に近い拘束です。

□ 稼働時間の一部を拘束するだけなら受け入れられる場合もある
□ 全面的な専属義務は、単価がそれに見合うか慎重に判断する
□ 指揮命令と組み合わさると、偽装請負の要素にもなる([偽装請負と常駐案件](/chapters/disguised-contracting/))

前職の情報の扱い

独立直後に最も危険な地雷です。

× 前職のソースコード・設計書を持ち出す
× 前職の顧客リストを使って営業する
× 前職で知った営業秘密を新しい取引先に開示する
不正競争防止法の営業秘密
営業秘密の要件:
  □ 秘密として管理されている
  □ 事業活動に有用な技術上・営業上の情報である
  □ 公然と知られていない

これに当たる情報の不正な取得・使用・開示は、 差止請求・損害賠償に加えて刑事罰の対象にもなります。

一方、在職中に得た一般的な知識・技能・経験は自分のものです。 持ち出してよいのは「頭の中の技能」であって、「データ」ではありません。

独立時のチェックリスト

□ 退職時に会社のデータをすべて返却・削除した
□ 個人端末に業務データが残っていないか確認した
□ 前職の就業規則(競業避止・秘密保持)を確認した
□ 前職の顧客に営業する場合、契約上の制約がないか確認した
□ 前職での成果物をポートフォリオに載せてよいか確認した

新しい取引先から提示された契約書に「乙は、本契約終了後3年間、甲と同業の事業者に対して役務を提供してはならない」という条項があります。あなたは複数の EC 系企業と取引しており、この取引先も EC 事業者です。どう対応すべきでしょうか?

この章のまとめ

  • NDA で見るのは定義・除外事由・相互性・期間・返還・再委託・違約金
  • 「知り得たすべての情報」は広すぎる。除外事由、特に独自開発の除外を確認する
  • 生成 AI への入力が「開示」に当たる可能性がある。契約に無ければ確認する
  • 漏えい時は直ちに報告。予防策(端末分離・暗号化・VPN・データ破棄)が最も安い
  • 競業避止は事業者間では有効と認められやすい。範囲・期間・対象を限定する交渉をする
  • 専属義務は実質的な拘束。単価が見合うか慎重に判断する
  • 前職のデータ持ち出しは不正競争防止法の営業秘密の問題。刑事罰もありうる
  • 持ち出してよいのは頭の中の技能であって、データではない

参考資料

対象リンク
経済産業省 営業秘密・不正競争防止法https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/
e-Gov 不正競争防止法https://laws.e-gov.go.jp/law/405AC0000000047
個人情報保護委員会https://www.ppc.go.jp/
フリーランス・トラブル110番https://freelance110.mhlw.go.jp/
読み終わったら記録しておくと、目次で進み具合が分かります。